振返って。

とうとう完走した。
200kmに憧れて沖縄を走ってから16年経っている。

80km、120kmとステップアップし、
200kmは1回目を高江足切りで終え、2回目を落車で30kmしか走っていない。

210kmにレベルアップしたTD沖縄。
もし、今年完走できなかったらもうムリだろうと諦めるためのレースだった。

完走できても、できなくても、もう同じ気持ちでは走らないと決めた、若い気持ちで臨んだ大会だ。
最後に完走できて本当に良かった。


レース中に思ったことをブログとして記録したのは、今年沖縄に行くにあたってそういう記事が非常に参考になったからだ。
ボクみたいに完走ギリギリのレベルで、沖縄挑戦が心配で心配でしかたがないとき、こういうブログを見て、「イケる」とか「足りない」とか何が必要だとかを感じ取れるブログは参考になった。

だから一応書いておこうと思ったんだ。

序盤の400人同時スタートから山岳までの落車は要注意。
気をすり減らすくらいじゃないと、いろいろ回避できないかもしれない。
山岳までは絶対集団に残ること。残らないと120%完走はムリ。
集団のペースが上がらず、山岳までで時間を使ってしまうこともあると思うが、そこは展開だから諦めるしかない。そこからサバイバルする戦術を考えておいた方がいい。

ボクは山が苦手だけど、最初の山岳で捕まえたパックが完走率を本当に左右させるから、ムリした方がいい。ムリと言っても遅くなってはダメで、一番速い走りをしなさいということ。タイムトライアルしている気分で走るのもいいかもしれない。集団についていけるならそれに越したことはない。

平地では独りにならないこと。
絶対に集団は速い。独りは遅い。
アップダウンでしっかりとパックを捕まえて、どう使っていくかが重要だ。


ボクレベルの選手にとって、TD沖縄210kmは個人ではどうにもならないところが多い。
展開や落車が最たるもので、集団のペースが遅過ぎで一部の速い人しか残れなかったり、もらい事故で落車することは一人ではどうにもできない。

だからどう走るかが重要だ。
元気だから行くとかダメで、サバイバルするためにどうしたらいいかを考えておく必要がある。

そのための練習、そのための補食、そのための走法、そのための待機、そのための準備がある。
その他もろもろ、人それぞれにそのための何かがある。

しっかり作戦を考え、成功率を上げるのだ。
そうすれば、ボクみたいなギリギリ選手でも210km完走できる。

ボクが証明。
だからきっと誰でもできる。


最後に。
ツール・ド・おきなわを開催してくれるオフィシャルの方々に感謝。
道路清掃、応援してくれた地域の方々に感謝。
ボトルをくれたり、監視してくれたボランティアの方々に感謝。
この大会に関わった全ての人たちに感謝します。

おきなわ210km、走れて楽しかったです。


<追加付録・補食>
前日夜。
・ビタミン剤、攣り防止漢方、栄養剤を飲んで就寝。
当日朝。
・ビタミン剤、攣り防止漢方、栄養剤、パワーバー。朝食はアップ前に米中心、うどんとかも良い。
・トイレでの体重軽量化必須。アップあとの小便はレース中トイレに行かないためには必須。
・スタート待機時にちょっとした高カロリー食を食べてもいいかも。
・飲料はヴァーム500ml+クエン酸&スポエネ+クエン酸500ml。
レース中
・固形物摂取(フードバー200cal)1個。
・メイタンゴールド3個をフラスクに入れて3回分で飲む。
・高カロリーゼリー2個。
・攣り防止漢方を1包。

レース中は意外と忙しくて食べることができないが、工夫して食べた方がいい。
ボクは基本的に省エネ派らしく、あまり食べないでも走れるみたい。

50km走るだけで腹が減るというような選手もいるので、自分に合った補食を研究した方がいいだろう。

これを見た、完走ギリギリの選手の役に立つことを祈る。
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2012 TD沖縄210kmロードレース③

ツール・ド・おきなわ市民レース映像資料:シクロワイヤードより
よく見つけたな、自分。自転車に関しては自分好きだわ(汗。
普久川①登り映像キャプチャ

<普久川2回目~ゴール>
ボクが読んでいる完走圏内のタイムスケジュールより10分速く山岳ふもとまでやってきた。

完走だけ目指すのであれば、恐らくここで足の揃う人間を揃えて垂れることなく走っていればイケるのではないかと思われた。

だが、今後何があるかわからない。
できるときにできることをやっておく必要がある。

奥の登りで、ボクは足が痙攣しそうになるのを感じた。
発動はしていない。あのピクピクという危うい感じだけだ。
痙攣は発動してしまうとクセになってしまう。レース中に回復というのは難しい。
だから秘密兵器として持ち込んだ『こむら返りに効く』漢方を平地の間に飲んだ。
本当はもっと後のタイミングを予想していたが、今飲まなければいけないと感じたからだ。

平地で休み、固形物も取った。カフェインも飲む。
できることはして、2回目を登る。

遅れることは覚悟していた。

そもそもボクより登りのレベルが上の集団である。
ボクは武器であるダウンヒルと、得意のアップダウン、そしてパックを利用してここまできたのだ。
登りだけでは勝負にならない。

でも、できるだけ、やれるだけ、粘れるだけ、、、、そう思っていた。

しかし不思議なことが起きる。
集団が全く速くないのだ。

ゆっくり登る。
とはいえ、ここら辺になると140kmや100kmレースの零れた選手も見え始める。
その人から見たら「ここまで走ってきて、なおその登りスピードなのかよ」と思われているだろう。

ボクは20-20の切札走法で走る。
もう、ボクの登りはこれしか対抗手段がない。
できるだけ、いけるだけ、、、と思っていたが、頂上付近で数名に遅れをとっただけで登り切ってしまった。

頂上付近で数名程度なら、下りで追いつける。
ボクは難なく集団内で2回目の山岳を越えることができた。

普久川関門2回目(135km地点)
通過11:07。
足切り11:35。安全圏11:20。


普久川から集団の前方に居座って下る。
なんだかんだ言ってもみんな疲れているらしく、少し元気なところを見せておかないと怠けてしまう。
こうなったら、集団から切れるところまでやってやる。
このとき、そういう覚悟をした。

2回目の普久川から宮城にかけて、足切りタイムは格段に厳しくなる。
足切りタイムだけを見て走れば、実に平均時速42.7km/hを出さなければならず、プロでもムリではないかと思ってしまう。
オフィシャルとしては、名護の道路規制を睨んで、ここで選手をふるいに掛けるのだろう。
ボクの作った『安全圏』というのは、そういうムリな足切りタイムに惑わされないためのものだ。
宮城関門を足切り時間ギリギリで通過するための制限時間と言ってもいい。

集団はTD沖縄第2位の高さを登っていく。
山岳が終わった直後の急峻な登坂だ。
すでに登りは集団の活性化というレベルにはなく、誰かが前に出てモチベーションを保つという感じになってきていた。

完走目的なら遅れることもできたが、ここはできるかぎりやってやる。
ボクは切札を使いながら集団の先頭付近をキープする。
登りでボクより元気なのは4人くらい。彼らは余力がまだありそうだった。
他の20人くらいは、地足を使ってじっくり登ってくる。速くはないが遅くもない。
爆発力はみんなない。ただ回すのみという感じだ。

高江に向かう坂を終えると下り基調のアップダウンになる。
アップダウンなので、ヤル気になると速いのだが、気持ちが切れると遅くなってしまう地形でもある。
ボクと元気な選手で回していく。

ここら辺になるとボクも力が落ちていく。
時折、最後尾まで降りていっては足を溜める作業が必要になってきていた。

宮城関門。(163km地点)
通過11:56。
足切り・安全圏共に12:20。

ひとつの安心。
一番厳しいとされる関門を無事通過。
なんとなく、これで完走は指に掛かった感じがする。

あとはやれるだけ、やるだけ。
ロードレーサーとしての真価が試される。
完走ではなく、どれだけ速く走れるか。問題は変化していく。

ここからは前日に下見した道だ。
厳しさは知っている。攻めどころも堪えどころも知っている。
これがどれだけ有利なことか。
今まで下見にこれほど感謝したことはない。

宮城を越えてからというもの、力が残っている感じがしない。
集団はパックを吸収し、登りの度に選手をふるい落としていった。
ボクはなんとかこらえて残るのが精一杯で、前を引けない。
多分だが、もう、前を行けるのは下りだけだろう。

気がついたのだが、下りだけが唯一、足が無くなっても疲労が蓄積されても終始速さが変わらない技術なのだ。登りで散々遅れても、下りで追いつけるということの余裕。武器として磨いておいて本当によかったと思う。

安部関門。(186km地点)
通過12:37。
足切り13:05。安全率12:55。

パックを食って食いまくって息を吹き返した選手が増えてきた。
安部を過ぎた平地の引きは凄まじく、再び40km/hくらいになっていた。
この時点でこのスピードはハッキリ言って耐え難く、切れる選手が続出。
パックは一列棒状で付くのが精一杯。
車体2個分の隙間が命取りの様相となった。

しかし付いていく!
人の後ろについて平地で遅れたとあってはロードレーサーの名が廃るとばかりに回す。

そして辿り着いたダムへの急坂。
パックは崩壊。疲れたまま入った急坂はみんなが疲れていて誰も声を発しない。
自分の息とチェーンの駆動音だけが聞こえる。

もう登りで目を見張る速さの選手はいない。
ボクと同じか、ほんの少しだけ速いくらいの選手だけ。
この程度の遅れ、下りがくれば取り戻せるいう程度の差しか生まれない。

長い長い登り。
まだ終わらない。
終わったと思ったら、下らずにまた登り。

だがまだ見える。
下りが来れば追いつける。

そしてついにきた。
登りが終わりを告げ、下りに入る。

50mの差がみるみる縮む。
追いつく。
下りきった先に、最終関門。

川上関門。(203km地点)
通過13:09。
足切り・安全圏共に13:30。


TD沖縄210kmロードレース、完走確定。

パックはとうとう6人だけになった。
最初に掴んだパックを離さず、前方のパックを食いに食っては選手を切っていった先に残った6人だ。

完走を確定させてボクは安心と束の間の感動を覚えていた。
しかし、他の5人が取った行動は、、、さらに追い込むことだった。

ボクは慌てて追随した。
こうなればどれだけ速くゴールまで行けるかが勝負だ。

この終盤に来て、平地だとは言え40km/hを超えてくる。
一人がロングスパートを掛ける。
抜け駆けは許さない。後ろにつく。盾にしてやる。
そいつは力尽き後方へ。
ボクも少し疲れて前を譲ったが、他の4人はまだヤル気だ。

もう良く分からない感じだった。
ヤル気があるのかもしれない、そうじゃなくて、付いていかないと遅れてしまうという脅迫観念から回し切っているだけかもしれない。
このときのボクの心境は後者だ。

残り2km。
前に出れる気もしない。
もう願わくばこれ以上抜かれることなくゴールしたい。
振り向く。もう誰もいない。
こんなに速いパックに追いつけるならすでにこのパックに居るはずだろう?
前を向く。
5人は必死。
ボクも必死。なんのために頑張っているのかわからない。
ただ、レーサーとして、こんな場面で遅れることがイヤだったに違いない。
例え順位が覆らなかったとしても、ボクはこのパックでゴールしたのだ、とそう思いたかったのかもしれない。

そしてパック最後尾でゴール。

13:21 名護ゴール通過。(道路規制14時まで)

走行時間6:00′55″
144位/完走245人(出走415人)

2012 TD沖縄210kmロードレース②

WP_000712.jpg

<普久川1回目~普久川2回目入口>
大集団で行動する序盤が終了を告げる。
70kmを走り終え、1時間47分が経過していた。

展開としては理想的である。
5年前は、ここまでに1時間57分使っていた。足切りにあった時間差が10分。
もしも、ここでの平均速度が速ければ2007年も完走できたかもしれない。

ここまでのペースが遅ければムリをすることを覚悟しなければいけないが、今回は順当。
完走を見据えたときの、安全率を持った通過タイムは9:10だと考えていたが、9:07頃通過できた。

イケる。
そう思ったが、まだ序盤が終わっただけ。
しかも、集団に乗ってだだけである。


集団は山岳賞が掛かる普久川ダムへの登りに入る。
ボクは予定通り100番目くらいか。
傾斜が緩い山岳序盤は誰も遅れない。高速で登っていく。

すると集団がいきなり止まった。
みんなが困惑するなか現れたのは工事のフェンス。
道は1車線になっていた。
一度に入れる人数に制限が掛かり、集団が止まったのだ。
落車は起きなかった。それだけは良かった。

まるっきり止まってしまったので、1車線を過ぎてから先頭追うときにオーバーペースになってしまったらしい。
息が上がる。足に乳酸が溜まる。

(とりあえず、ここまでか)

ボクの登り性能は悪い。
それは散々わかっていることだ。

ボクは先頭を見送り、追随する選手を見送った。
一度息をリセットするべくペースを意図的に落として、切札を使う。

20回のダンシング、20回のシッティング、回転数は70から80の間。
これを繰り返すことがボクの登りの切札だ。
ボクはこれを使ってヤビツを自分史上最高速度で登ったのだ。

そもそもが集団の上の方を走っていたから、ボクが追い越すより抜かれていく選手の方が多い。
遅い。くそ、遅い。
でも焦ってもはじまらない。ボクは登りが遅い。わかっていたことだ。

それでも遅れを最小限にし、より良いパック(小集団)に残るのがここでの戦術。
ムリをしてもペースが落ちる。ムリしなければ戦えない。
そんな妥協点で走るのだ。

散々抜かれて山頂へ到着。
下りだ。
ボクの場所だ。

ボクの武器は下り。
登りで散々抜かれた選手たちを抜いていく。
5kmほどの下りで10人以上抜いただろうか。

それだけ、登りレベル(もしくは走力)が上のパックに入れる。
強いパックに入れば、生き残る可能性も上がる。
今は可能性を広げるところだ。

普久川関門を越えた。(83km地点)
通過時間は9:33。
足切り時間は9:55だが、完走安全圏内は9:40と読んでいる。
-7分だが、上出来だ。

普久川から奥まではアップダウンが続く。
周りを見れば6人くらいが一緒だ。これがボクが掴んだ最初のパックだ。
このパックを活性化させて、できることなら前のパックを食いながら走りたい。

前に出て引っ張り、勢い良く出てくる選手に前を譲りながら走る。
細かいアップダウンは得意な方。この時点でパックの前部にいつもいる状態になっていた。

そうこうしている間に前のパックが見えてきた。
こちらより少々大きい8人くらいか。

ゆっくり、ゆっくり。
見えたからと言って焦らずパックを制御する。
みんなわかっているかのように、落ち着いて対処しているようだ。
焦って疲れた上、パックから遅れるなんていうのが一番バカだ。

パックは15人程度にまとまってきた。
この頃には、単独で走っている選手もいて、それを食いながら走る。
パック後方はよくわからないが、切れてる選手もいるだろう。
でもボクはパック前方を回していた。
本当は回されていたのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
ここにいるみんな、完走が目当てなのだ。
できれば順位が欲しいくらいなもので、助けあうことを旨としているはずだ。

細かいアップダウンが終わり、大きな下りに入った。
先頭の方でダウンヒルを繰り広げていると追随してくる選手もいる。
そんな連中と一緒に下りきったとき、30人くらいの大きな集団が見えた。

奥の登りに入る前。
そんなタイミングでの合流だった。
ボクらは大集団に復帰したのだ。

奥の登りはTD沖縄でいうと第3位の高さだ。
ボクの苦手な登りに入る。

だが、集団は非常に落ち着いていて、ペースを上げる者はいなかった。

このときボクが思ったのは、奥の次、15kmくらいの平地のことをみんなが考えているのではないかということ。
平地は絶対に集団が良い。
しかも、大きければ大きいほど良い。
たくさん休んで、短い時間集団を引くことで高速をキープできる。
もちろん落車の危険は孕んでいるが、そのリスクを取ってでも高速は魅力だ。

思惑通りと言っていいものか、大集団のまま、奥関門を通過し平地へ入る。(109km地点)
通過時間は10:17。
足切り10:30。安全圏は10:10。少し足が出た形。

集団は30人くらいで進んでいく。
吸収した人数は多かったが、登りで脱落した人数も多かったようだ。
最初の普久川ではボクより速かった選手も、戦術を持たなかったせいで脱落していく。
沖縄210kmはまだ中盤だが、完走が難しい理由のひとつだ。

平地はボクが前にいく必要もなく速かった。
むしろ、控えさせてくださいというくらい速い。
40km/hで進んでいたと思う。

非常に良い印象のまま2回目の普久川に入る。(124km地点)
山岳入口通過が10:39。
足切り11:10。安全圏10:50。

集団の力で安全率圏内に復帰した。
あの平地を独りで走ると思うとゾッとする。
ここまで、戦術はしっかり機能している。

第二の山岳。
再び鬼門の登場だ。

ボクが奮戦しなければいけない所がやってきた。

2012 TD沖縄210kmロードレース①

ツール・ド・おきなわ市民210km記事:シクロワイヤード(写真も同左)
http://www.cyclowired.jp/?q=node/97158

ayano2012TDO20-200034.jpg

<スタート~与那>
夢を見た。

起きた時、まだ暗くて時間がかなりあったので2度寝に入ったのだが、次に起きたのはスタート時間の後だった、という全く笑えないストーリィ。
夢の中で、ボクは「じゃあ今から140kmレースのスタート地点まで行って、そこを走る」とかバカなことを言っていた。

怖い夢だった。本当に悪夢だ。
今まで育ててきた<想い>が無に帰る、振り上げた拳をどこにぶつけたら良いかわからないような、怖い夢。

3時半に目が覚めた。
ほっとした。ボクは走れる、それが嬉しかった。
本当は4時半に起きるつもりだったが、もう寝ることはできなかった。

寒いのとヒマ潰しを兼ねて、コンビニまで暖かい飲みものを買いに出た。
沖縄の自販機は温かい飲料を売っていない。
買えるかっ、こんなもん!と思わず悪態をついてしまう。

車の暖房を付けて、車内でゆっくりと朝食と着替えをする。
アップを始める選手もチラホラ見かけてきた5時からアップ開始。
1時間平地を走ってトイレを済まし、スタート地点に並ぶ。

スタートまで40分待たされた。
寒い。でもウインドブレーカーなどレースで邪魔になるものは着て来れない。
こんなときサポートがいればなぁ、ギリギリまでジャンバーが羽織れるのに、と思う。


次々とレースやサイクリングカテゴリーがスタートしていくなか、7時20分に210kmレースの号砲が鳴る。

いよいよ本番。
ボクは走れる。
ボクならできる。
スタート前までの不安が号砲と共に消え失せる。
不安なんて感じる暇はない。
挑戦が今始まる。


レース序盤。
今帰仁の半島を回り、58号線を北上して山岳に達する70km。
戦術と展開予測がフル回転する。

400人超でスタートし、集団で走るのだが、道路は最小2車線まで幅が狭まる。
細かい登りも点在し、今年の台風の影響で工事区間も激しく多い。
上手く展開を予測しないといけない。
集団のスピード変化で前後の選手が接触したり、いきなり障害物が現れて避ける拍子に左右の選手が接触する。
すなわち、落車が起きて巻き込まれる。

近い前後左右、遠くの前方をしっかり洞察しておく必要があるのだ。
落車をすればレースが終わる可能性が発生する。
運よく復帰できても、足を使って追いすがらなければならない。
ここでの安全運転は必須だ。
そして、安全に走るためには余裕がなければいけない。
足も、気持ちも、自転車のグリップのように余裕がなければいけない。

集団は遅くも速くもなかった。
丁度いい塩梅で進んでいる。どうやら逃げがあったらしいが、先頭がムリせず追っているようだった。

ボクの平地での能力は悪くない。
確かにトップアマには及ぶべくもないが、集団にいる以上、力を使う必要はない。
余裕はあるのだ。

落車に巻き込まれない定石として『誰よりも前に出る』というものがあるが、この段階でローテーションを組めるほどの実力はないので、先頭から100番目くらいを目指して集団に埋もれる。

後ろで落車の音が聞こえる。
振り返らない。
拍子に洞察を怠って別の落車に巻き込まれるわけにはいかない。

できるだけ集団の端を走るようにしていたが、展開によって右に行ったり左に行ったり、中央で待機したりする。
端から上がってくる選手がいるため、ジッとしていると集団後ろへ追いやられるので、ボクも展開で前へ上がる努力をしなければいけない。

右橋からイナーメの選手が上がってくる。
イナーメといえば有名チームだ。そういう選手の後ろなら安心して走れると思い、少し彼へ寄った。

彼を右前に見て走っていると、ボクの前を走っていた選手がよろけた。
イナーメの彼にもたれ掛かる。
イナーメの彼はうまく当て舵を取って押し返そうとしていたが、よろけた選手が復帰しない。
危ないと判断したのだろう、イナーメの彼はよろけた選手を嫌って態勢を退いた。。。

落車が発生した。
イナーメの彼は自転車を退いたのだが、倒れ込んだ選手を避けきれなかった。

後続が次々と叫び声を上げて追突する。
ボクは一部始終を見ていたので(3秒程度の話だが)寸でのところで左へ回避した。
助かったと思った。
3年前と同じ轍は踏みたくない。ボクは落車で一度沖縄をフイにしているのだ。


その後、58号線に出てもスピードは落ち着いて速かった。
道が広くなったこともあり、勝負所と踏んで右から左から上がってくる選手が多い。
本当は落ち着いて走りたかったがボクも前方をキープしたかったので、一気に50位くらいまで上がる。
これで落ちても山岳に入るまで100位キープできるだろうと思っていた。そんなとき、、、。

落車!!

ボクの2つ前の選手。
すぐ後ろの選手は追突、巻き込まれ落車。
ボクは右に回避運動を取る。
少し登りだったせいで速度がわずかに落ちていたのが良かったのかもしれない。タイヤはグリップし、うまくかわせた。

だが後続は止まった。巻き込まれていた。

多くの選手が巻き込まれたらしく、ボクの周りは数人しかいない。
あまりの散開ぶりに振返ると混乱している様子が見てとれる。

とりあえず、集団に戻るしかない。少し遅れたが先頭集団に戻る。
落車を回避したおかげで瞬間的なスプリントで追いつけた。足の負担はない。
落車で停止を食らった選手は足を使って追いすがってくる。
追いつけはするだろうが、少しだけ元気が減る。

ボクは近くまで迫った落車の影を無事すり抜けて集団に乗ってきた。
次の舞台は山岳。

戦術と展開予測はフル回転中。
武器はここにある。
切札だって用意した。
あとは折れない心と勇気だけ。

ここからが本当のサバイバルレースの始まりだ。

決戦前夜

朝は3時半に起きた。
とうとう決戦を翌日に控え、脈拍が高い。

体重は57kg、体脂肪は20.5%。
昨晩からカーボローディングとして炭水化物を食べ始めてるが、異常はない。

4時には部屋を出た。
高速バス乗り場まで10km程度のサイクリング。
寒い。全然夜明け前である。

手を冷たくしながら輪行バックに自転車を詰め込む。
いろいろ外したりもするが、30分程度の慣れた作業だ。
でも、手を抜くと部品が壊れることもあるから慎重にやらなければいけない。

温かいコーヒーを自販機で購入してバスに乗り込み、空港まで1時間。
空港に到着しても、飛行機乗り込みまで2時間近く待つことになるが、遅れるより待つ方がだいぶ良いので本を読みながら待つ。本は自転車と全く関係ない小説。
ともすれば自転車のことを考えてしまうので、ムリにでも神経を丸くするように努力する。

飛行機に空弁と共に乗り込んで、那覇に到着したのは11時前。
自転車と荷物を受け取ったら12時近くになっていた。
予約していたレンタカーをすぐに受け取って、名護へ58号線で向かう。

途中で昼メシを食べようと思っていたが、結局名護近く、道の駅・許田まで頑張ってしまった。
ステーキ定食を食べて、数キロ先にある名護のツール・ド・おきなわ(以後TD沖縄)開場で受け付けを済ませたのは15時半。自転車の組み立ても終え、チェックしたが問題なし。良かった。

今日、絶対しておきたいことがあった。
コースの下調べである。

2010年。200kmロードレースだったものが210kmへ変更された。
単純に距離が延びたのではなく、コースの最終部分20kmが変わったのだ。
ボクは200kmのレイアウトしかわからないので、この変更部分が非常に気になっていた。

レンタカーで同じ道を走ってみたい。
あわよくば、試走できれば良いとも思っていたが、日暮れが迫っていたのでムリそうだった。
レース前日に暗い中を走るものではない。リスクは選ぶものなのだ。


さて、レンタカーで16時に会場を出発。
新コースへ向かう。
時間がないので、新コースを逆走して宮城関門(168km地点)まで行ってピストンで帰ってくることにする。

オフィシャルでは新コースは山岳だと言っていた。

車は結構な斜面を登り、景色の良い自然豊かな森中を進んでいく。
今登ったところは当日下りになる。
そして、ここまで登ったということは、向こう側にも登りがあるということだ。
終盤にきてなお、かなり足が要ることを感じ取る。

山中なので迷いながら走っていると、自転車が見えた。
良く見るとゼッケンを付けたTD沖縄参加者だ。
どうもサイクリング部門の選手が走っているようだった。

恐らく東海岸沿いを走ってきているのだろう。
ロードレース部門のコースと同じだ。

逆走を続けると、散り散りになりながら登ってきている選手たちが見られ始めた。
選手たちは疲れ切っているというか、ようやく足を回しているように見える。
それは、もはやサドマゾの世界で、「なんで苦しい思いまでしてこんなところ走ってるんだ?」と思わなくもない。
いや、ボクがただの観光者でレンタカーを流しているだけならそう思うだろう。

でも、苦しみの先に何かが待っている気がするから走れるということを経験でボクはわかっている。
ここにいるみんなは理解し始めている。

もう、頑張れ、と祈る他ない。
これから先は自分でもぎ取るものなのだ。
止まって車に回収されたら得られない『何か』を得る戦いだ。
同じ苦しみを分かつ仲間もいるのだ、独りじゃない。
頑張れ、キミらは頑張れる。
そうエールを贈りながらボクは車を逆走させる。

コースは山岳だけではなかった。
海岸線まで降りると平地も長い。
これは良い集団を維持しておかないと時間を稼ぐことができないことを意味していた。


車を折り返して、今度は宮城関門から順走してコースを行く。
車の距離計を見ながら、ボクの感覚で傾斜をメモしていく。

大きく捉えると5km以上の平地は2回。
足が止まる登り1km級が2回。
そして最後のダムまでの登りが2~3km程度で傾斜も急。
これは、思った以上に足にくるコースだと感じた。

足切り時間だけを合計すると宮城~川上関門までを1時間20分で、32.4km走らないといけない。
通常なら大丈夫だが、終盤に来て独りで走ることになってしまったら怪しいかもしれない。
集団をうまく使い、登りで遅れないようにしなければ。
どうやら最後まで気を抜いてはいけないようだ。

ダムへの登り、サイクリング参加者の中には、すでにペダルから足を降ろして押してる人もいる。
しかたないさ。それでもゴールを目指すんだ。

日が暮れる中、彼らのゴールが名護ならば、あと15km程度は走らなければならない。
みんなの無事を祈りながらボクは名護へ向かった。

名護に到着したボクは、カーボローディングのために沖縄ソバを食べ、米の弁当を買う。
自転車とジャージにゼッケンをつけなければならないし、レース前の最終チェックもしなきゃいけない。

結局暗くなってからそれらを始め、22時頃にようやく寝る態勢を整えた。

想いは時空を越えて明日へ向かっている。
ボクは、なかなか寝付けなかった。