FC2ブログ

空虚惑星⊿X

何か有意義なことをしようと改めて考えてみたら、「アレ?何もやることないぞ!」と気が付いた星の人が綴る日記

荒島岳④

荒島岳のお社
頂上に到着して、まずはお参りをする。




今年、ボクは参拝を心がけている。
昨年までは、神に手を合わせることも拒んできた。

ボクの人生はボクのもの。

神様といえども、少しだって手伝って欲しくなかったのだ。

それがなぜ、今年は参拝するのか。
正確には『今年から参拝するようにした』と理解してほしい。

今まで通り、実は神様なんて信じてない。
だが、もし存在するとして、だからと言って手助けしてもらおうというのは、なんか違うと思う。
自分の人生は自分で進む。それが大前提だろう。

だからなぜ、今年から参拝するのか?
…と思われるだろうが、こういう考え方をしている。

『自然(≒神様)に対して感謝するくらいはいいだろう。
例え、それが存在しないものでも、自分の気持ちを落ち着かせるもので、余裕が生まれる行為なら、やるべきではないのか?』

世界には祭りがある。
あれも神様があるから、祭っているのだろう。
かつてボクはそれすらも楽しめない人間だった。

何を祭るのか?
それがなんの役に立つのか?
浮かれているなんて、バカらしい!

そんな感じだ。

神社には近づきたくないし、寺も行きたくない。
神仏入り乱れて嫌いだった。

そして、神様を信じないくらいで人に不平を行う神がいるなら、そんな神様なぞ、こちらから願い下げだという気持ちでいた。

不信心だと言わば言え!
気に入らなければいつでも殺せ!
ボクは常に不幸だし、生まれたことに感謝だってしていない。
お前を頼るくらいなら、いつでも命なくしたらぁ!

…という中二病臭い感情を胸に、大事な青年時代を過ごしたのだ。

だが、
34歳くらいからだろうか。
そんな意識が変わってきた。

大きな仕事を任されるようになり、自分一人ではどうにもならなくなったことが原因だ。

今までは与えられた仕事を自分の能力でやってきた。
もちろん、これは労働の話だ。
たくさん作ればたくさん売れる、だからたくさん作るんだ、という労働の話。
ボクはたくさん作れるような人間だった。
人の2倍を作れる感じの人間。
要領はいいのだ。器用じゃないけど。

だが、仕事が労働だけではなくなった。

売れないものを売るにはどうしたらいいのか、を考える側に回ったのだ。
たくさん作れないものをたくさん作るにはどうしたらいいのか、というのもそうだ。

こうなると労働ではない。今までのやり方では通じない。
たくさんの仕事をこなして、最終的には一人ではどうにもならないことがわかった。

人の協力がいる。

そうして人と接する内に、自分の中にある“人への恐怖”というものがわかってきた。
トラウマがあるのだろうか。ボクは人に恐怖していた。

詳細は置いておくが、以来、ボクは対人恐怖症の克服のため、訓練を積んでいる。
なかなかに成果は上がってきているが、いかんせん15年近く閉ざされた封印の扉だ。完治にはもう少しかかるだろう。

今は、人を理解する…というより、人間的な何かが取り戻せそうな気がしている。
そんな道程で、神様と自分の在り方についても、明確に何かが掴めるようになってきた。

ボクの独自な視点からだが、こう思っている。

神様の存在を信じなくてもいい。
だが、在りもしない神様を毛嫌いすることは、結局のところ、神様を信じているのと同義ではないだろうか。

ボクは何かを頑なに拒否していたのだ。
神様も、人も。世界すら。

ボクは否定をやめる。
神様を信じる気には毛頭なれないし、その気もない。
しかしこれは否定ではないと思う。“ないものはない”のだから。

でも、古くから伝わる祭りや風習は人間が作り上げたものだろう。
そういう祝い事は、伝統として、文化として楽しんでもよいのではないか、と思うようになれた。

お願いも自己暗示みたいなものだ。
神様はきっと何もしてくれない。奇跡は訪れない。

しかし、お願いをすることによって、願望は言葉になり、明確になる。
明確になった気持ちは、おのずとその後の行動に表れていくだろう。
神様に手を差し伸ばされることなく、自身の力で乗り越えていけるのだ。

だからボクは参拝することにした。

神様に頼るという意味ではなく、自然を身近に感じ、自身の願望を明確にし、その後の行動を決めていくために。




頂上に到着して、まずはお参りをする。

賽銭を入れ、神を起こす。

まず名乗る。
どこから来たのか正体を晒す。
土着の神に到着を知らせる。

本来なら、ここで定番となるお願い事などいうのだろうが、今回はやめた。
たくさん祈るのは、ご利益が薄まりそうだ。
今、お願いするべきは帰りの無事だろう。

急峻な嶺を上がってきた。
下りの心配をしながらだ。

もし死んだとしても構わないが、それに伴う膨大な労力を他人にかけさせるのはためらわれる。
事故に遭うのは仕方がないにしても、遭わないようにする努力を惜しんではいけない。

だからその努力に願をかける。
「無事、荒島岳登山が終わりますように。努力はします。がんばります」と。


お参りが終わると、頂上からの写真を撮りながら行動食を口にした。
昼飯がまだだ。腹が減っていた。

少しでも腹に物が入ることで景色が良く見えるようになってきた。
こころなしか、青空も端々に見えてくる。太陽が明るい。
天空から
荒島岳は一応単独峰である。
山々が連なる連邦ではない。日本アルプスや丹沢のように山々が連なってはいない。

ひとつの峰であり山であるから、ほぼ360度、下界が見える。
それは天界に登ったようであり、空を飛んでいるようでもあった。
雪で覆われた頂上は、まるで雲に乗っているかのよう。
雲に乗せられ、空を飛んだなら、こんな風だろうという世界がここにある。
天空の雪原にて

白山が見える。恐らく向こうは大山。
集落が見える。反対には湖を抱く町がある。
しばらくの間、写真を撮りながらの空中散歩を楽しんだ。

ふと、空が曇る。
ボクは我に帰る。そろそろ潮時だろう。

準備を整え、頂上をあとにする。
思えばここまで誰にも会っていない。
もし、帰りも誰にも会わないとするなら、今日の荒島岳はボクだけのものだ。

テンションが上がる。
今日の荒島岳を独占するためにも無事に帰らなければいけない。

下りに入る。
思ったより滑らない。
体重と落下による加重が、雪原に足をめり込ませる。滑るというより、むしろグリップが増している。

それでもどこかに氷のような硬質な部分があれば滑ってしまうかもしれない。
注意をしながら下るが、心は安堵している。

「不思議だ。下りの方が落ち着く」

登りのときは、足を踏み外さないように、まるでモンブランにでも登るかのように注意していた。
滑ればどこまでも滑っていく、そんなイメージがぬぐえなかったからだ。
尾根の端など行こうとも思わなかった。

しかし、下っている今は逆だ。
滑るわけがないと思っている。いや、滑ったとしてもなんとかできると感じている。

下るスピードを上げる。
大丈夫だ。
ワザと足を滑らせてみる。
1mくらいだが滑った。しかし、その程度だった。

こうなると不安はなくなる。
もう、楽しいとしか感じなくなってくる。
元来、下るのは得意だ。
自分の領域で、自分の下りができるとなれば、それは一番楽しい時間に決まっている。

ボクは雪を踏み荒らし、崖にさえ思える斜面を下っていった。
そして、登りでは2時間かかった<シャクナゲ平~頂上>を、30分弱で下ってしまった。

もう、登山は終わったも同然だった。
一番の危険個所を、楽々通過してしまったのだから。
もちろん、登山は終わっていないのだから、絶対安心とは言えないが、これから先は読めている。
帰る道も、時間も、労力も、恐らくボクの想定内で収まることだろう。
不安要素はもうないのだ。

だいぶ遅くなった昼食を、たっぷり1時間かけて摂る。
締めのコーヒーがうまい。
頂上の様子を反芻しながら、思いを馳せるが、どうやら天候が悪くなりそうだった。
頂上はガスで見えなくなっていたし、シャクナゲ平も薄ら霧がかってきていた。

充分な休息が取れたボクは、残りの行程を休みなしで下りきった。
<登山口~シャクナゲ平>は、登り3時間かかったが、下りは1時間だった。

登山口に到着して、いつも通り「ああ、今回も無事だったな」とボクはつぶやいた。
それはもう、斬鉄剣を持つ五右衛門ばりの定番セリフになっている。
斬るための剣でモノを斬っておいて、『つまらぬものを斬ってしまった』と嘆く五右衛門。そして、無事に帰る計画をしているクセに、無事に帰れればそれはそれで残念と思ってしまう自分。理不尽なところに共感を覚える。

ミッション1
荒島岳登山 …コンプリート!

となれば、アイゼンだ。
ボクは所有者に連絡を取る。どうも彼は地元の人らしかったので、書置きのあった場所にアイゼンを置いておくから取りに来てほしいと伝えた。

ミッション2
アイゼンの探索 …コンプリート!

完璧だ。
いつにもなく完璧で、やりきった感に包まれながらテン場に帰る。

そういえば、下山中も人には会わなかった。
2013年3月28日の荒島岳はボク独り占めの日。
例え日本にたくさんの人がいて、世界に屈指のクライマーがいたとしても、今日、この日だけは、この山はボクの山だ。
そう思える自分が誇らしい。
そしてその幸運がとても嬉しい。

途中、キャンプ場管理者らしい公民館へあいさつへ行き、水をもらう。
勝原駅で明日乗る帰りの電車を確認する。
始発を逃すと
始発を逃すと5時間待ちという凄まじさ!過疎線の威力を痛いほどに知った。
明日は絶対二度寝できないと固く誓う。
そして寝所の勝原遊園へ。

17:30前には到着し、明るいうちに体を拭く。
キャンプ場の水は冷たいが、なかなかに気持ちがいい。多分、達成感のおかげだろう。

そのあとは荒島岳登山の打上げを一人で始める。
打上げ
敦賀で購入したニシン寿司が地元感出してて浸れる。
この日の夕飯もカレーだったが、レトルトではなく缶詰だったので、また違う感覚で楽しめた。

酒がうまい。肴もうまい。
挑戦を終えた日は気分が最高だ。たとえ星ひとつない空だとしても、それも悪くないと思えてしまう。

空は闇の帷を閉じた。
ボクは闇夜の中で、ゆっくりと今日の余韻を噛みしめた。
スポンサーサイト




旅 130201以降 |
| ホーム |