あきらめと覚悟は似ている

最近、自分の勤務している工場についてあきらめの境地に至っている。

なんとかしようと思わなければ、それはそれで集中できるものだ、と感じている。

今のやり方ではダメだとわかるから、なんとかテコ入れしようと、自分を変え、相手の意識を変えようとするほどにエネルギーを消耗する。
それは多分、愛に近い。
でも、当然、相手にその愛は届かない。

人は変わらない。
ならば、自分を変えるのみ。
自分の声が、影響が届く範囲で変えるしかない。

で、あれば。。。
管理部署であるボクは、現場を変えることはできないだろう。
ただ、それでも最悪な自分の部署ならば、かなり変えることができると思う。
ボクの部署を変化させ、仕事の回転を速くすることはできそうだ。
その、"正解" を見せ、こうやればうまくできる…ということは見せられそうである。
ただ、ボクの労力が半端ないが…。

でも工場は変わらないだろう。
やはり、工場は現場だ。
現場が変わらないと、革新は成らないだろう。自明だ。

自立できない現場。
それに手を差し伸べるだけの管理部署。
さながら、ニートと団塊世代の親たちか。

両方自滅が見えているが… 頑張る人がいる限り、まぁ、ある程度なんとかなるんだろうな。
それは、ボクから見れば "不正解" なんだけどな。


"不正解" を許容する。
それは、あきらめを意味する。

あきらめると一気に気持ちは冷めるもので、現場の甘えにも優しく対応できるものだ。
そう、現場を鍛える必要はない。甘やかせて、ボクがやってあげればいいのだ。
ボクは忙しいよ? でも、現場を変えるために使う労力よりは圧倒的に楽で時間が掛からない。

それは愛を捨てたのかもしれない。
まぁ、退職を匂わせている時点で愛はないか(笑)。

あきらめたその分、自部署への奉仕ができる。
改革は内向きだが、それでもしないよりは断然良い。
外(現場)は今まで通り、それでは将来性がないと思っても同じ対応をしましょう。
内向きでは改革を断行して、"正解" に近づいていく。
それに集中する。

なんか、これって、"覚悟" に似ている。

ひとつをあきらめた。
でも、代わりに覚悟を決めた。

そんな感じ?

それでも全体的には悪いままなんだけど…
そういう試算なんだけど…

ボクの手が届く…
ボクの眼が届くところは救いたい。

で、なければボクがいる意味がない。


あきらめは悲しい感じがする。
でも、何かに集中するためには、あれもこれもという贅沢は言えない。ボクはそんな天才でもないし。

覚悟って…
あれもこれも取れないから、たった一点、これをやり切るという願いに似ている。

なんか、実は、あきらめと覚悟は似ている。
何かをやりきるためには、あきらめも、覚悟も必要なのかもしれない。



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